あじむぴーぷる vol.1


~安心院に花を咲かせたい~ 事務局長 生野栄樹さん

<プロフィール>

1949年 大分県宇佐市安心院生れ

 

2010年、水産関連会社から退職を機に30年間暮らした福岡市から故郷の安心院町へ帰郷。2011年に宇佐市は安心院地区でまちづくり協議会の立ち上げを計画しており、Uターンの生野さんに声をかけた。

20124月より安心院地区まちづくり協議会の事務局長を務める。趣味は釣り、園芸など。

Q1:安心院で生れ育った生野さん、子供の頃はどのように過ごしていましたか?

「毎日、外で朝から晩まで真っ黒になって友達と遊んでいました。川で泳いだり、魚を釣ったり、山でチャンバラをしたり。特に薬師でよく仲間と遊んでいましたが、安心院地区全体が遊び場でしたので、地区住民は大体みんな知っていました。」

 

子供時代の遊び場「薬師」(今のようす)
子供時代の遊び場「薬師」(今のようす)
祖父の初盆の写真。左から2番目の男の子が生野さん。この写真を撮ったことはよく覚えているそう。
祖父の初盆の写真。左から2番目の男の子が生野さん。この写真を撮ったことはよく覚えているそう。

Q2:生野さんは約30年間福岡に住んでいたという事ですが、帰郷して安心院地区はどのように変わりましたか?また、変わらないところは?

 

「やはり、人口が減りました。昔はもっと賑やかでしたが、今は外で遊んでいる子供も少なくなりましたね。僕が小学生の頃は学年に120人位はいましたが、今は全学年合わせてそれ位の人数になりました。昔と変わらないところをは人々が親切であることです。昔から広大な風景を眺めたり、広い場所にいるのがすきでしたが、今でも展望台から星や衛星を眺められ、ゆったりできる場所があるのが良いですね。」


家族旅行村展望台から見える朝霧
家族旅行村展望台から見える朝霧

Q3:現役時代はどんな仕事をしていましたか?

「水産系の仕事です。水産資源の調査を行ったりしていました。20代のころには、1年間ブラジルで調査を行っていました。船上での仕事で始めは船酔いで辛かったです。店では、日本では売っていないものがあったり、びっくりしたこともありました。シュラスコ(肉料理)が美味しかったのを覚えています。」

Q4:仕事に対して心がけていることはありますか?

「自ら先頭になって掃除や、なんでも動くタイプです。人に頼んだり指示するより、自分で動きます。」

 

Q5:生野さんが毎日している事や自慢できる事はありますか?

「いつもやる事は掃除です。毎朝5時半に起床し、拭き掃除を40分位してから朝食を家族のために作ります(朝と夜は必ずサラダを作ります)。月に1回はワックスがけもします。でも、日曜日だけはお休みします。自慢できることは・・・、健康であることでしょうか。今のところ何も薬は飲んでいません!」


Q6:まちづくり協議会に参加していて良かったこと、困ったことは何ですか?

「人とのつながりが出来たのが良かったです。特にイルミネーション制作の時はたくさんの地域の皆さんに協力してもらい、お互いを良く知り合えるきっかけになりました。困っていることは、地区住民にまちづくりについてもっと関心をもってもらいたいです。いろんな人に参加してもらいたいです。」


Q7:これからどんな安心院にしたいですか?

「花を咲かせたいです。たくさん花が咲く明るい安心院にしたいです。」

 

2013年5月

インタビュアー:宇佐市地域おこし協力隊